東勝寺は、もと桓武天皇の時代に坂上田村麻呂が戦死者の供養のために建立したと言われています。
江戸時代初期には、公津村の名主である佐倉宗吾(木内惣五郎)が、領主の堀田正信によって課された重税に苦しむ農民たちのために立ち上がり、将軍に直訴しました。しかし、宗吾は家族と共に処刑され、その怨霊が正信を改易に追い込んだと言われています。宗吾の遺体は刑場に埋葬され、それが現在の東勝寺の境内ということです。
現在、境内には約7,000株のアジサイが植えられており、毎年6月に宗吾霊堂紫陽花祭りが開催され、あじさい寺としても親しまれています。
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